日常の世間話的なことを、極めて個人的偏見で、つれづれなるままに書き連ねたエッセイ的雑記帳。
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■サヨナラはるちゃん■
2003/05


 今回は“おフザケ”抜きな話題。
1月の掲示板にも当日書き込んでいたが、弟分の晴彦くんの事故死について、ようやく気持ちの整理が付いたので、書き留めておきたい。
ハイロウズの楽曲に『岡本君』という、ミョ〜に暗い歌がある。ハイロウズのギタリスト真島昌利氏の少年時代の体験に基づいて作られているらしい。
『岡本君、君がいない 夏はまるでぬけがらのようだ…』
幼くして他界した同級生の死に接し、真島氏は「おじいちゃんじゃなくても人間って死ぬんだ」と、子供ながらショックを受けたと言う。
突然の晴ちゃんの死。奇しくも私もまさに同じ気持ちを味わう事となった。
それは今年の1月、成人式を過ぎたある日、出先での仕事を終え、フと携帯電話に目をやると、実家からの着信記録。特に不信感もなく、リダイアルしてみると、電話口の母の声が緊迫しており、「大変な事が起こってん!」とうわずっている。「なんだろ?またパソコンがフリーズでもしたんかな?」くらいに思い「どうしたん?」と訪ねると、絞り出すような声で母が一言。
「…晴ちゃん、死にやってん!!」
「え?」…ホワイトアウト。
母の話す言葉の点と点を頭の中で結ぶ事が出来ない。一瞬時間がフリーズする。じわじわと状況がつかめて来てようやく、頭の中で「ウソやろ?ウソやろ?」という文字が動き始め、やっと感覚が戻って来た。早く帰ってあげなければ、と思う反面、冷たくなった晴ちゃんを目の当たりにする、その現実を回避したいと言う気持ちとで、混沌とした胸中。
晴ちゃんが生まれた時、私は高校生だった。ウチの庭で、近所のチビッコ数人を相手に、水鉄砲で撃ち合ったり、ウチの茶の間で一緒にテレビを見たりして大きくなった。幼な顔をそのままに成長したような青年であったからか、脳裏に浮かぶのは不思議と幼稚園児の晴ちゃんの姿だ。おかあさんの物らしき、大きなつっかけを履いて、ヨタヨタとウチの店にお遣いに来ていた、その姿だ。
当初「事故」と聞いて、交通事故を想像したが、晴ちゃんはそうではなかった。近々正社員として採用される予定だったバイト先で、プレス機に頭部を挟まれた事に寄る、業務上の事故死だった。晴ちゃんの部署では木っ端や、おがくず等をリサイクルし養牧用の敷物などを作っていたらしい。事故は一瞬の出来事だった。もうすぐ昼休み、という頃、仲間の作業員がちょっと目を離した隙に、なんらかのアクシデントで晴ちゃんがプレス機に巻き込まれ、その叫び声でスタッフ達が駆け寄って慌てて機械を止め、病院に搬送されたが、晴ちゃんは既に即死していた。成人式を済ませ、二十歳の誕生日を目前に控えた、そんな折のまさかの事故だった。
葬儀の日、晴ちゃんと体面することになったが、まるでマンガの『タッチ』さながら、白い包帯をヘッドギアのように巻いている以外は、まるで眠っているようだった。「きれいな顔してるだろ?でも、もう、動かないんだぜ…」『タッチ』の達也は双児の弟・和也を亡くした。晴ちゃんにも、ひとつ違いの兄がいる。日頃ケンカばっかりしていた兄弟だが、兄のヒロちゃんは、傍からみて痛々しいくらい咆哮し、泣き崩れ、亡骸にすがって離れなかった。
せめてもの救いは、晴ちゃんが痛みを自覚する前に事切れていた、ということだ。「苦しまずに逝った」…そう思えば少しは救われる。同じ言葉を、池田小学校児童連続殺傷事件の被害者の両親も言っていた。
通夜の後、不思議な事があった。出かける時に、ちゃんと装着していたはずの真珠のピアスが、帰宅後入浴の際、片方無くなっている事に気付いた。ピアスの形状も様々であるが、普通のキャッチ式とは違い、一旦耳に引っ掛けてから留める、つまりは外そうにも一方向からの力だけで偶然に外れるような構造ではないのだ。
「晴ちゃんが持っていったんだ…」
ついにピアスは見つからなかった。
人は必ず死ぬ。分かり切った事だけに切ない。自分もいつか彼岸に行って、晴ちゃんに会ったらこう言おう。
「はるちゃんっ、ピアス返してや!」
数日後、成人式の時の集合写真が、市役所から届けられた。
仕事の関係で列席していたウチの父の数人横に、晴ちゃんが、あの頃のままにっこりと笑って写っていた。
『晴彦君、ホントのお別れだ、“またね”じゃない、本当のサヨナラだ…』
今年もまた夏が巡って来る。毎年晴ちゃんたち家族を誘い、ウチの家族と合同で、ささやかながら楽しい花火大会を、近くの空き地で催すのが恒例行事だった。今年そのメンバーに、晴ちゃんの姿は無い。
『晴彦君、君がいない 夏はまるでぬけがらのようだ…』


註)…一部、ハイロウズの楽曲を引用しています。